愛犬ノエルがくれたもの〜1 
                   るんば
(2002.8月)


             
                      ノエル


 ノエルは黒のメスの大型犬です。
 クリスマスという意味にちなんで主人がつけました。
 ペットショップから我が家にやってきたのは生後4ヶ月、体重16キロの巨体でした。(^^;)
 すでに我が家にいたチャコ姐さん(柴犬MIX・当時8歳)とほとんど変わらない大きさで、チャコもこの大きな子犬をもてあましておりました。
 忘れもしない、我が家の一員となり,初めての散歩でいきなり回虫がどっさり!回虫まみれのうんちに驚いて病院に即お薬をもらいに行きました。
  
 ノエルは、気はやさしくて力持ち〜という山田太郎みたいな穏やかでやさしい、の〜んびりタイプの性格でした。(年齢ばればれですね・・)
 チャコは警戒心が強く、他の犬とは仲良くなれないタイプでしたが、 何故かノエルのことは受け入れ、ノエルが成犬になったあとはそれはもう寄り添って眠るくらい仲良しになりました。
 チャコ自らノエルに遊びをしかけたり、ノエルの喜怒哀楽のある(喜楽しかないといわれましたが・・)表情と行動に触発されたのか、若返って表情も豊かになり、笑顔がこぼれる犬になりました。
  
 そんなノエルですが、生まれつき股関節形成不全と言う先天性の病気を抱えていました。大型犬に多い病気で、遺伝疾患だそうです。
 ノエルを迎えたときには、すでにモンローウオークというおしりふりふりの独特の歩き方や、時折後ろ足の爪を引きずる音がしました。もしかすると悪化してしまうかも・・そんな不安を抱きながらも私はノエルと暮らすことを決めました。
 腰の病気のほかに胃腸が弱かったり、皮膚が弱かったり・・・
 基本的に体が弱かったノエルは、病院通いの日々がずっと続いていました。
  
 冬になると腰が痛むのか、他の関節にも負担がいくのか、足がかくんとなって歩けなくなってしまいます。病院を何軒もはしごして検査してもらっても原因がわからないときがありました。
 そんな時は、アドバイスいただいたようにお湯であたためたタオルで体をマッサージしたり、体を冷やさないように心がけました。
 だんだんと元通りに歩けるようになって春を迎えました。
  
 常に病気の不安があっても、ノエルはいつも笑顔で(なんでこんなに幸せそうなんだろう?というくらい)私はどんなにか励まされたかわかりません。いつも勇気を百倍もらって、辛い事があっても家に帰るとノエルの笑顔が待っていました。

 1歳を過ぎた頃、ノエルの体調もようやく安定してきました。
 私はかねてから希望だった、動物と一緒に老人ホームなどを慰問するボランティア活動に参加できないかを考えるようになりました。
 ノエルはとっても穏やかで子供やお年寄りが大好きな犬でした。
 お散歩中はいつも声をかけられ、子供たちに囲まれて話しているところにゆったりと寝そべる犬でした。お年寄りには自分の体をぴったりとつけて甘えたり、大きい体が怖いと思われる方には伏せをしてなでてもらうことをしていました。ノエルとならできるかもしれないと思いました。

 ノエルが1歳になったころから、市内のふれあい活動に参加するようになりました。最初は私も緊張してノエルも疲れやすかったりで、休み休み休憩を取りながら・・・
 回を重ねる度に入居者の皆さん、スタッフの皆さん、ボランティアの方や犬たちにお会いできるのが楽しみになってきました。ノエルの体調の良いときをみながらののんびりの活動でした。
 この活動はノエルが亡くなるまで3年間続けました。

 ノエルが縁で知り合ったふれあい活動の皆さんで犬のしつけの勉強をさせていただいたり、犬について色々学ぶ機会にもめぐまれました。  
 その愛犬家のみなさんのグループは小学校などの愛護教室へ行っています。保健所の方主催の教室に犬をつれてボランティアで参加する活動です。小学生に犬への接し方を学んでもらって、噛まれる事故を予防したり、犬の習性を知って思いやりをもって接してもらったり、命の大切さを知ってもらうのが目的です。ノエルの仲間だった犬たちは立派に教室に参加しています。

 ノエルが体調を崩して入院したのは4歳の初夏のことでした。
 嘔吐と下痢をがひどく、お腹を壊したのでは・・ということで点滴や注射、投薬などの治療をして帰宅しました。
 その前日に敷物のカーペットをかじって遊んでいたのを義母がみつけ、取り上げましたがそんなに深くは考えていませんでした。
 帰宅後の2日はいつもほどの食欲は無かったですが少し食べ、嘔吐と下痢も治まっていたので様子をみていました。
 お散歩も普通通り行きたがって元気そうでした。
 その後、夕方頃から激しい吐き戻しと下痢がが始まり、夜間に荒い息使いでくんくんと鳴き苦しそうでした。 翌朝、病院に連れていってもらい入院となりました。
 私は一晩ノエルにつきそったのですが、もともと外で飼っていたノエルをずっと玄関にいれて置くことはできず、朝に外へ出しました。そのときに雨に濡れてしまい、更に体調を悪化させてしまったようでした。
 仕事があったため、義母に病院へ連れていってもらいました。
 そのとき、病状を手紙に記し、検便を一緒に託しました。

 ノエルが入院中、電話で病状をうかがっていました。
 きっと2、3日したら元気に帰ってくるだろうと思ったり・・・
 寂しがり屋のノエルに会いに行って帰ったらまた鳴いてしまって病院に迷惑をかけるかも・・という気持ちでした。
 病院では以前食欲はないものの、下痢と嘔吐はおさまっていて、お散歩にも行けているので・・とのことで安心しました。きっと明日は退院だと思っていました。
  
 ですが、入院して2日後の夜に急変の知らせを受け、病院にかけつけました。ノエルは大量の血便をしてぐったりとしてしまっていました。
 私はショックを押さえなるべく冷静に先生とノエルに接し様としていたような気がします。ショックから自分の心を守るために麻痺してしまったような・・・
 ノエルは私の顔を見ると必死に立ち上がり、よろよろと歩いてきて、ばったりと倒れました。ケージから出たノエルを私が拭いてきれいにして、先生がケージを掃除しました。ぐったりとしてたち上がれないノエルを先生と私の二人がかりでケージに納めました。
 私はなすすべもなく、病状の説明を聞きましたが、そのときにはまだ直接の原因はわかっていませんでした。
またなにか急変したらすぐに連絡しますということで、一旦帰宅しました。
    
 その後、夜中の1時過ぎに再び電話。
カーペットの残骸を吐いたとのことでした。
主人と病院へ・・・
カーペットは具合が悪くなる前にノエルが遊んで噛んでいたものでした。
血にまみれて真っ赤のカーペットの残骸。
 恐らく、それが腸に詰まってしまっていたのが原因とわかりました。
今思い返すと、そのときは混乱していて通院し始めてどの時点でカーペットの件を先生にお伝えしたかはっきりとは覚えていません。
 でもまさか飲んでいるとは思わず、ちゃんと真剣にお伝えしていなかったと思います。そのことがノエルの命運を分けてしまったのです。

 すでに立ちあがれないノエルは、懸命に体を起こし私に擦り寄ってきました。ノエルを安心させ言葉をかけ、励ましました。
このまま付き添いたい。家に連れてかえるべきか?
助かるみこみはあるのか?
苦しんでいるノエルを眠らせてあげたほうがいいのか?
いろんな思いが錯綜しました。
 朝になったら緊急手術をすることになりましたが、状態は際めて危険とのことでした。
 最後の一縷の望みに託し、手術をお願いすることにしました。
 再び連絡があるまで自宅待機となったため、家に帰らなくてはなりませんでした。
 再びノエルに声をかけ、なでてからケージの扉を閉めました。
ノエルはゆっくりと横になり、ふーっとため息をついたように思います。
そのときのノエルの瞳を今でも忘れることができません。
まるで自分の運命を全て受け止めているような静かな瞳でした。

 家に帰ってからも一睡もできず、祈り続けました。
ノエルが生きていてくれさえすれば、なにもいらないと本気で神様に祈りました。
 午前3時半頃、眠れなくて横になっていた私のふとんの上を踏んで行く足がありました。見覚えのある大きさと感触はまぐれもなくノエルのものでした。3歩私の上を踏んでいきました。心の中で「まだ来てはいけないよ。」と言ったと思います。

 その後4時すぎに先生からノエルの訃報の電話が入りました。
私はとても冷静にというより、何も考えられないような冷静さで応対をし、静かに主人を起こし、ノエルを迎えに行こうと言いました。
涙は出ませんでした。
     
 身支度をし、車で病院に向かいました。
すでに綺麗にしていただいたノエルは病院の診察台の上にいました。
まだあたたかかったですが、死後硬直が始まって固くなった体でした。
先生が席をはずしたときに、そっとノエルの顔にほおずりをしました。
     
 先生の方から死因を解明するために検死解剖を希望するかどうか聞かれました。これ以上遺体を傷つけるのは嫌だったのでお断りしました。
 先生と共にダンボールの棺にノエルを納め、お礼を言って病院を後にしました。
 不思議ととても冷静にまるで感情が無いかのように、静かに応対していたように思います。今、考えるとショックと悲嘆から自分を守っていたのかもしれません。

 家に帰り、大きいノエルは部屋に入れるのは大変だったので、玄関に安置されました。
 朝食を食べているときによくやく涙がでてきました。食べる事ができなくて、そのまま部屋にこもりました。
 仕事は仮病をつかって休みをとり、もともとの休みを入れて3日間休みました。「愛犬が亡くなったので仕事にいけません」とは決して仕事先には言えないと思いました。
     
 ノエルの遺体がいたまないように、義父がドライアイスを買って来てくれました。朝のうちに翌日の葬儀の手配をしました。また、ノエルの死を親しい方にメールしました。何かをしていないと気が落ち着きませんでした。

 食事をする気も眠る気もおきずに時間が過ぎ、午後と夕方に親しかった方がノエルにお別れを言いにきてくださいました。花束と暖かいメッセージがとどきました。全てを棺に入れてあげました。
     
 一睡も出来ずに翌日を迎え、火葬の時間が近づいたので準備をしました。亡くなる前にほとんど食べることが出来なかったノエルの為にこっそり豚肉を煮て入れてあげました。手紙も入れました。
 義父がいつも歩いた散歩コースを通ってあげるといいと言ってくれて、散歩コースをゆっくり通りました。夏に遊んだ川も通りました。
 思い出が次々と走馬灯のように流れ、車の中でノエルをずっとなでながら、涙があとからあとから流れました。

 時間より早く霊園に着いたため、昨年亡くなった柴犬のうめちゃんのお墓参りにと動物指導センターの合同慰霊碑に向かいました。
 慰霊碑にお線香を供え、お参りをすませたあと、ふと里親さんを待つ子犬たちが目にとまりました。
 そこになんと・・・ノエルにそっくりな子犬がいたのです。
純血種のノエルそっくりの雑種の子犬でした。驚きました。

 その後、霊園でお経をあげていただき、立会い火葬をしました。
 お骨も家族皆で拾いました。ノエルを悩ませた股関節の骨は思ったより浅く、これではいつ脱臼してもおかしくないくらい悪かったのだと思いました。火葬が済むと心の中にとても安らぎを感じました。

 もう一度、ノエルにそっくりな子犬に会いに行きました。
子犬を譲る会が1週間後だと知りました。
どうしよう?これは、単なる偶然だろうか?
それともノエルがこの子に会わせてくれたのだろうか?
私の心は揺れました。

 その後の1週間、悩みに悩みました。
もう一度同じような形で愛犬を亡くしてしまうのがとても恐怖でした。
自分に犬を幸せにできるか自信がありまんでした。
ノエルを亡くしてしまった自分を責め、先生とのやりとりや伝えるべきことをおろそかにしていたこと、コミュニケーション不足、全てを罪悪感とともに感じ、とても苦しい1週間でした。
 悩み、苦しんだ末、私は子犬を迎えに行く決心をしました。

 子犬を譲る会はとても人がにぎわっていて、特に雄の子犬は人気がありました。私は1時間前から子犬たちの様子を観察し、そっくりの子犬の性格を判断してこの子なら良い子に育ちそう!と心を決めました。
 気が強すぎず、臆病過ぎず、でもちょっと鈍臭いおっとりとした所が気に入りました。初めての人にもころんとお腹をみせるような子でした。

 その子の希望は他に2組の家族があり、ボールを引いての抽選となりました。当たりは7番のボールです。
 ノエルの首輪をお守りに持ってきた私は、こっそり首輪をぎゅっと握ってボールを取りました。
 7番、当たりでした!
年甲斐もなく大喜びして、子犬を抱き上げました。

 登録と狂犬病の注射を済ませ、家族で記念撮影をしてから、子犬を抱いて家に帰りました。家族皆からノエルの執念と言われて笑われました。(^^;子犬はあたたかく、ひだまりのにおいがして、心まで温かくなりました。

 それから、子犬のココアとの生活が始まりました。
ノエルで学んだことをココアに活かしていく毎日でした。
 そうした毎日から、ココアとともにノエルと私の3人で歩いている気がしてきました。
 ノエルのおかげで沢山の事を知ることができました。それは今でも私の宝物です。
       
 病弱で穏やかだったノエルになれていた私は、ココアの元気さとスピーディさに少々手を焼いています。犬のハンドラーとしての技術もまだまだです。以前の私は、ノエルとうまくできなくて悩んだりしたものでした。ノエルの体のことや自分の至らなさを嘆いたり、あきらめてきたことも沢山あります。ですが、ココアと一緒に歩いていくうちに、今のままの私とココアでいいんだと思えるようになりました。
 無理をして背伸びをしても、全部ココアにわかってしまいます。
犬はとっても不思議です。飼い主が疲れていたり、イライラしているのを押し殺して何でも無い振りをしてもお見通しなんですね。そんなときは、ココアも落ち着かなくなってしまいます。
       
 私とココアは歩き始めてまだたったの1年です。
これから一緒に恥をかいたり、笑ったり、泣いたり、楽しんだりしながら成長していけばいいのだと思えるようになりました。
 
例え歩みは遅くとも〜♪

 犬と出会えたこと、その幸せを分かち合えることを心から嬉しく思います。
それはノエルからの贈り物。とても大きな宝物を残して旅立っていってくれました。今は笑顔でノエルの思い出を話せることも、心の中で今も一緒に生きていることも。

ブルース・フォーグル先生の本に書いてあった言葉より。

「愛犬を埋葬するのにもっとも適した場所は、飼い主の心の中である。」


            
                    ココア

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