|
eri |
るんばさん、こんにちわ。
マロが居なくなって11日が経ちました。
毎日哀しい日々を送ってます。
でも、ショックはだいぶ薄らいできました。
津波のように、って仰ってた意味が分かります。
元気な状態から一変して、悲しみの恐怖のスイッチが入ってしまうのです。
最近はそのスイッチが入っても短い時間になってきました。
2日くらい前までは、マロの遺影に向かって挨拶もできなかったのですが、昨日あたりから、オハヨウとか言えるようになってきました。
もっと時間が経つと、哀しいが寂しいとか恋しいに変わるのでしょうね。
私の場合は友人と話したり、酒で紛らしたりNETで違うものを無理やり見るようにして時間が過ぎるのを待つようなかんじです。時間の薬もあるけれど、人の優しさもあります。しかし、残念なことに、一番分かって欲しい、話を聞いて欲しい友人には、完全に無視されました。
2重のショックでしたね・・・。
その友人は、哀しみのどん底にいる私を抱え切れなかったのだと思います。
欲しい物が手に届きそうでも手に入らないって言う感じでした。今回のマロの死で色々なことを学びました。
全ての出来事には意味があるんだと言うことです。
無駄なもの、事はないんだって、改めて感じました。 |
IP: 219.19.32.25
|
Re:時間 2004/02/12/09:20:06 No.246 |
|
るんば |
eriさん、こんにちは。
マロちゃんに「おはよう」を言えるようになってよかったですね。マロちゃんもきっと喜んでいますね。時々、話しかけてあげてくださいね。
>もっと時間が経つと、哀しいが寂しいとか恋しいに変わるのでしょうね。
そうだと思います。時間はきっとかかると思いますが・・私も悲しいが愛しいに変わり、ほんわかとしたあたたかい思いになってきています。
一番理解してほしいお友達に無視されてしまって、とてもショックでしたね・・ただお話を聞いて受けとめてもらうだけでもとても救いになったのに・・と思うと残念です。
eriさんがおっしゃるようにお友達はどうしていいかわからなくなってしまったのかもしれませんね・・人の悲しみを受けとめるには自分の心にゆとりがないとできないときもあるし・・
きっとeriさんなら、時間がたってマロちゃんのことがやさしい思いに変わってきたら、同じ立場で悲しむ方の心に共感してあげられると思います。自分の心の痛み、辛さを知っている分だけ人に優しくなれると思いますよ。
>全ての出来事には意味があるんだと言うことです。
無駄なもの、事はないんだって、改めて感じました。
その通りですね。マロちゃんと出会えたこと、一緒の時間を過ごせた事、病気の事、天国へ行った事、お別れも全部、大切な意味があるのだと思います。
私達より先に老いて逝ってしまうわんこたち。私もノエルのその生と死から、精一杯生きることや一緒の時間を大切にしようということを教えてもらった気がします。
|
IP: 210.159.230.37
|
|
|