老犬介護を考える〜うめちゃんの思い出
るんば
私は、2000年初夏に老犬のうめちゃんを亡くしました。
うめちゃんは、豆柴のMIXのような小さなおばあちゃん犬です。
私とうめちゃんのつきあいは亡くなるまでのたった5ヶ月間でした。
その短い時間の間に犬との生活や年老いた犬と暮らし事、様々なことを考え、とても貴重な体験だったと思います。
うめちゃんは側溝にはまって鳴いている所を保護されました。
保護してくれた方はペット不可のマンション住まいでしたが、うめちゃんを
放っておくことはできす、連れて帰って洗ってくれました。
翌日、近所の動物病院に預け、健康診断をしたそうです。
うめちゃんはぼーっとしたまま表情ひとつ、鳴き声ひとつあげず、人形のようだったそうです。病院の先生は痴呆症にかかっていて迷子になってわからなくなったのでは?とおっしゃったと聞きました。
飼い主さんが探していると思いほうぼう届出がでていないか探したそうです。しかし、飼い主さんは見つかりませんでした。
うめちゃんは、膀胱炎や尿路結石にかかっている事がわかりました。
後に乳腺腫瘍も患っていることがわかりました。
様々な病気がやっかいで捨てられたかもしれないというのが結論でした。
いつまでも病院に預かっていただくわけにもいかず、相談をして新しい家族が決まるまで私の家で預かる事になりました。
ですが、病気持ちで目も白内障で真っ白、耳もほとんど聞こえていないようなうめちゃんがもらわれるのも望み薄・・・家族と相談して家で飼ってあげることとなりました。
膀胱炎と結石の治療がはじまりました。けっこう長く時間がかかる治療でした。
最初は痴呆症でぼけていると思ったうめちゃんですが、とんでもない!
実はとてもえばりん坊だったのがわかりました。家にはすでにチャコ(柴犬MIX・当時11歳)とノエル(大型犬・当時3歳)がいましたが、自分が一番になろうと伺ううめちゃんが・・・
チャコは一番のボスだったのであきらめました。ノエルは体が大きくてもとてもおっとりとしていたため、うめちゃんの方が上に立ってしまいました。
体重がノエルの4分の1くらいなのに・・・(^^;)
上下関係が安定すると犬たちも仲良くなりました。(気の毒なノエル・・・)
散歩は3頭別々で、2頭担当の私はノエルの後にうめちゃんと散歩しました。
うめちゃんは、張りきってリードをぐんぐん引っ張るくらい元気で、威張るときは鼻息を「ふん!ふん!」と吐きながら歩きます。
家の犬以外には「わんわん!」と威張り、全然仲良くなれません。
ですが、人にはとってもフレンドリーで小さな子にも優しい犬でした。
どうして痴呆症だと思われたのでしょう?
一人ぼっちになった寂しさから意気消沈していたのでしょうか?
小さなうめちゃんと大きなノエル2頭を私一人で連れて散歩できるようにもなりました。でこぼこコンビで結構近所で有名でした。
うめちゃんの膀胱炎と結石が良くなると、血のようなうみがでていた乳腺腫瘍を取り、避妊手術をしてもらいました。私としては、少しでも長生きしてもらう為にお願いしたのですが・・・
手術後、うめちゃんは元気が少しなくなり毛つやも悪くなってしまいました。術後2ヶ月後くらいにせきをするようになり、病院に行って気管支の薬をもらって飲んでいました。いっこうに良くならず、散歩も歩きたがらなくなってしまい、なんだかむくんでいるうめちゃんを再び病院に連れていきました。
レントゲンを撮ったり、血液検査をした結果、心臓がかなり肥大して悪くなっていること、腎臓も肝臓も悪くなっていることがわかりました。
避妊手術のときには悪くなかったのに・・・・
それから、胸に水がたまってしまい苦しい事もわかりました。
心臓と腎臓と肝臓のお薬、利尿剤を服用することになりました。
うめちゃんは相当悪くなっており食欲も落ちていました。
帰宅してからは、薬を乳鉢ですりつぶして、少し砂糖を入れて飲みやすくしてスプーンで飲ませるようにしました。食事は、自分で食べ様としないときは介添えをして、離乳食のような形にしてスプーンで飲ませたりしました。
調子のいいときは、私が一口ずつ差し出すとパクパク食べてくれることも
ありました。一進一退の状態だったので、今日は食べてくれた、明日は全く
食べないの繰り返しで一喜一憂していました。
胸にたまった水を少しでも出すために利尿剤を飲んでいたため、おしっこが頻繁にでます。色々考えて庭の一部を自由にできるようにして、うめちゃんが休める場所にはすのこを置き、日よけをつくって、トイレ場には砂をしいてあげることにしました。もうお散歩も禁じられていたため、庭を歩く事しかできません。
しめつけるのがいけないので首輪も外してありました。
動くのも大変なうめちゃんでしたが、おしっこだけはちゃんと立ってトイレで
しました。偉かったと思います。亡くなるまでずっとそうでした。
あとは、日よけの下でずっと眠る毎日でした。
ある日、囲いの中にうめちゃんがいません!囲いがわずかに開いていました!
びっくりして探すとお隣のワンちゃんに会いに行っていました。
散歩にいけずつまらないと思ったのだと思います。よちよち歩いて行ったようです。なんだかうめちゃんが不憫でなりませんでした。
初夏の日差しはとてもきつく、うめちゃんの体にダメージを与えました。
保冷剤やペットボトルを凍らせてタオルで巻いてそばに置いてあげましたが、確実に体力をうばっていました。
当時、家では犬を室内に入れることを禁じられていたため、見ていてとても辛かったです。
とうとう体調をもっと崩したうめちゃんは入院となりました。
呼吸が大変そうで酸素箱に入りました。
入院した翌日に面会に行きました。
体が大変そうなうめちゃんは横になったまま私を見ていました。
それがうめちゃんに会った最期になりました。
その2日後くらいに仕事中の留守電にうめちゃんが心臓発作を起こして亡くなったという連絡が入っていました。
携帯電話を自宅に置いていってしまっため間に合いませんでした。
うめちゃんを迎えに行きました。横になったうめちゃんは、まるで眠っているかのようでした。
ダンボールの棺に入れてあげて、家に一緒に帰りました。
小さなうめちゃんは二階の私たちの部屋に安置され、一晩一緒に過ごしました。
うめちゃんが亡くなって、悲しいというより心にぽっかりと穴があいたような虚無感ともう苦しくないね・・という安堵の気持ちが二つありました。
これ以上良くなる見込みが考えられなかった介護の最中、出口が見えなくて私自身も暗いトンネルの中にいたのです。
ですが、実際に悪くなってたった一ヶ月でうめちゃんは逝ってしまいました。
翌日、うめちゃんのお葬式の相談をしました。
たび重なる通院と入院で私のお財布はからっぽで、お葬式をだしてあげる余裕がありませんでした。
辛かったですが家族と相談の上、動物指導センターで火葬していただく事になりました。車中、ずっとうめちゃんの顔をながめて行きました。
手続きをすませ、その日は友引だったので火葬がないとのことで、うめちゃんは他の子達と一緒に大きな冷蔵庫に安置されることになりました。
他にも箱や布にくるまれた子達がいました。
うめちゃんを中に安置しました。
「お別れはすみましたか?」と職員の方が優しく声をかけてくれました。
お礼をいうと、冷蔵庫の扉は閉められました。
センターを後にしながら、なんだかとてもやるせない気持ちになりました。
明日の火葬に立ち会ったり、お骨が拾ってあげられない後悔の気持ちもあったと思います。せめてもの供養にと遺髪を遺してあったので、小さな祭壇を作って写真を飾り、お花とお線香をそなえました。
うめちゃんをかわいがってくれた方には写真入りの葉書でお礼状を送りました。亡くなった子に対して何かしたいという行為を行うことは癒しに繋がると思います。
うめちゃんの死後、長く一緒に暮らした犬が年老いたときのことを色々考えるようになりました。
ココアを迎えた今、家族に頼み込んで夜だけココアを私たちの部屋に上げるのを許してもらえました。小さな一歩です。
ですから夜間のココアの変化にも気づいてあげられるようになりました。
絆も深まったように感じます。
チャコも夜は玄関から廊下の板の間までは可になりました。
自分の技量を考えたら我が家で3頭はちょっと無理がありました。
保護している方には申し訳ありませんが、自分の子の生活を大事にしたいので預かりはもう無理だとお伝えしました。
保護活動をしている方はとても大変だと思います。ですが、自分の技量をはるかに超えて動物の数を増やしてしまうことは、果たして大丈夫なのか・・と心配になります。
私にはとても無理なので、自分の守れる範囲の子を大切にしていきたいと思います。
うめちゃんの死後考えた事は、年老いた犬との暮らしの重要さでした。
またノエルを亡くした後、もしノエルが年老いて元々悪かった腰が悪化して寝たきりになったらちゃんと介護できただろうか?と・・・
私はうめちゃんをちゃんと介護できたという気持ちより、もっと何かしてあげることは出来なかっただろうか?と考えます。
チャコももう13歳。
チャコにはもっとよりよい介護をしてあげたい。
介護で出口が見えない気持ちも一緒に分かち合える場や工夫を伝え合う場があれば・・と心から思いました。
そんな気持ちがこのHPの「ペットの暮らしを考える掲示板」につながりました。
皆さんで一緒に考え、励ましあっていければと思っています。
私自身は知識や経験は皆無に等しいです。
ですから、一緒に考え、また皆さんに色々教えていただけらたら・・と思います。
るんば
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