子育てのパートナーとして〜ロンママ
      (2002年2月8日 13歳没)



    



 「散歩に出る」という日課がなくなってから、かなりの時間が過ぎてしまいました。
 私の愛犬ロンは、長毛のシェパードです。
長毛ゆえにシェパードには見えず、顔も丸くてりりしさに欠け、全体的に間の抜けた所が何処かにくめない風貌の犬でした。
「お宅の犬は何ていう種類なの?」と尋ねられることがよくあって、私はいつも「
一応シェパードです。」とはにかみながら答えたものです。

 ロンと過ごした日々を振り返ると、散歩の想い出がまず浮かんできます。
結婚してこの家に来た私は、ロンの散歩係が一番の仕事でした。
体の大きなロンを制御するのは大変で、息が合うまで結構時間がかかりました。

 のどかな田舎風景が広がる我が家では、散歩していると嫌なことも忘れてしまいます。

 しばらくして、双子の男の子を授かりました。
子育てに忙しくしていると、時々ロンとおじいさんがベビーカーに子供を乗せて引っ張りながら散歩に行ってくれました。
その間私は急いで家事をやります。
 たて型の双子用ベビーカーは、人間でも重たかったので、ロンは頑張って引っ張ってくれたと感謝しています。
 子供たちもそんなロンによくなつき、犬好きな子供に成長しました。
歩けるようになると、今度はお守役として私の目の行かない方で子供を守ってくれていました。
 私の子育てをまさに後ろでがっちり支えてくれた大切な存在でした。

 そんなロンも年齢を重ねるうちに後ろ足がうまくつかえなくなり、引きずりだしました。
 変形性脊髄症との出会いです。
寒くなりかける12月は、いつも悲鳴にも似た鳴き声をあげ激しい痛みが襲いました。
 徐々に動ける距離が狭まり、前肢でいざる様になってしまいました。
困った・・・。トイレと散歩をどうしよう・・・。
体重は多いときは42キロ、病気でも38キロは最初の頃はあったと思います。
 医療用の補助パンツを使ってみようかと思い立ち、購入してみました。
すると、前肢の動きはしっかりできていたので、スタスタと歩いて行きます。
ロンも見るからに誇らし気に隣の犬の所へ日課だった
眼とばしに行きました。
 車椅子も考えの一つに入れましたが、着脱に時間と労力がかかりそうだったので、この補助パンツを選びました。
後ろ肢2本を穴の中に入れて、両サイドの取っ手を引き上げるようにした道具です。
大型犬だと移動に力が要りますが、嬉しそうなロンの様子を見るにつけ、がんばろうという気持ちになりました。
素材がウエットスーツに使われている物なので乾燥しやすく、またほつれにくい物でした。

 歩けなくなった時分から、ロンの眼が哀しい気持ちの入り混じったようになり、夫はそれがとてもこたえていました。
「あの眼で見上げられるとたまんねエ。」とよくこぼしたものでした。
 でも子供たちは、ロンのことをいつも気にかけていて、なでたり優しい言葉をかけてくれました。
 三人目の子が小学校に入学する日に、ロンと撮った写真には
「大きくなったネ。」と今にも声をかけてくれそうなまなざしのロンが写されています。


 歩けなくなって三年目、昨年の2月8日、最期の時を迎えました。
呼吸困難で、少し前から安楽死も頭をよぎっていた夫と、祖父、そして私の三人が見守る中、全身の力を呼吸に集中させながら、最期まで生き抜こうとした姿で、旅立って行きました。
 夜だったので子供たちはもう眠っていましたので、次の日の朝お別れしました。子供たちにとって初めて眼にする身近な命ある者の死でした。
 私達に大切な気持ちを色々教えてくれたロン、本当にありがとう。
涼し気な目元で笑っているあなたの写真を見ていると、子供達の成長を一緒に見守ってくれたその存在がない事にとても淋しさを感じます。
双子は来年中学生になるんだけど、これからも心の支えでいてくださいね。


 

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