ことば〜るんば(2004・8・10)

 言葉はとても大切だ。
 
 江口 啓之さんの「スピリチュアル・エッセンス 光文社」という本の中には「言葉は人を幸せにもするし、傷つけもします。」と書いてある。

 日本は、「言霊の幸はふ国」と言われたのだそうだ。
日本最古の和歌集の万葉集の時代から、言葉には精霊が宿ると考えられていたらしい。古代の人は、あらゆる物事に精霊が宿り、言葉に宿る精霊がパワーを持って人の幸不幸まで左右すると考えたそうだ。
(魔法の言霊 橘月 尚龍 著 当方出版 参照)

 「アイヌのイタクタクサ―言葉の清め草  萱野 茂(著) 冬青社」の中には、「言葉自体は刀のようにするどい武器にもなりえる。」という文章があった。
 アイヌの人は文字を持たないので、全ては言葉による口承での伝承だという。だから言葉を何よりも大切にして、その言葉には命があるとも考えられているそうだ。日本にも言霊という言葉があるように、言葉自体が命を持ち、話したとおりの方向に向う力があると信じられたのと共通している。
 だからアイヌの人たちは言葉を大事にして、いい言葉を大切に使うようにしてきたのではないだろうか。

 「アメリカ・インディアンの聖なる大地の教え ジェミー・サムズ 扶桑社」という本では、ネイティブ・アメリカンの文化では、「自分の言葉を歩け」ということわざがあるそうだ。歩くべきをただ語らないようにということだそうだ。
 
 私が言葉について考えるきっかけになったのは、昨年北海道に帰省した折にアイヌ文化に触れたためだった。
 アイヌ、日本、ネイティブ・アメリカン。昔の人は現代人よりもずっと言葉というものを尊重し、使い方に気を配っていたように思う。

 私自身、自分の未熟さのために言葉で人を傷つけたり、不快な思いをさせてしまったことが沢山ある。自分の何気ないひとことだったり、怒りに任せて発した言葉だったり。そういう時、自分が発した言葉はしっかり自分に返ってきた。相手の心に鋭い刃のようにささった言葉。その言葉は私の耳から入って心にも同じ傷をつける。罪悪感、自責の念。
 後悔しても一度発してしまった言葉はもう二度と戻すことはできない。

 言葉が足りなくても同じ。わかってくれるだろうと思っていることが相手を傷つけてしまうこともある。ちゃんと言葉にして伝えなければ、心は届かない。

 今、お話を語ることを勉強している。語りに気持ちを込めて相手の心に届くように語るのが大切だそうだ。
 自分の心にぴったりのお話を選んで心を込めて語る。最初は不器用でも下手でも、少しでもその心が相手に伝わればいいと思う。
 この語りの中にも「言霊」の力が宿っているような気がする。

 その人が語る言葉にはその人自身が現れると思う。江口 啓之さんが書いたように、言葉で自分を不幸にすることも、幸せにすることもできると思う。また周囲の人を不幸にすることも幸せにすることもできる。
 私のそばにいる人が私の言葉で悲しい思いをしたり、幸せな思いをしたりする。まるで自分を写す鏡のようだ。

 自分の正直な気持ちは、いいことも嫌なこともまっすぐに受け止めたいと思う。時には、自分の影の部分も。それをなんとか乗り越えたら、できるだけいい言葉を話せたらいいと思う。
 これからもきっと、何度もつまずいて、人とぶつかったり迷惑をいっぱいかけてしまうだろう。そのたびに立ち止まって、自分を言葉を振り返って、少しずつ直しながら、いい言葉を話していけたらいいと思う。

 最後にもうひとつ本の中の好きな言葉を。
 〜TUGUMI 吉本ばなな 著 中公文庫から

「ひとりの人間はあらゆる段階の心を、あらゆる良きものや汚いものの混沌を抱えて、自分ひとりでその重みを支えて生きてゆくのだ。まわりにいる好きな人たちになるべく親切にしたいと願いながら、ひとりで。」

「もし、みんなの心がかみ合わなくなって、そんな時がきても、そういう時のためにこそ、楽しい思い出はたくさんあったほうがいいんだよ。(まりあのお父さんのセリフ)」

 大変なときも自分のことはしっかり自分で支えたい。そして周りの人にできるだけやさしくありたい。大変なときこそ、楽しかった思い出は自分を支える。この言葉はいつも私の励みと勇気になっている。
 

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