自分できめること  るんば (2004.7.9)

 エッセイに生きることや死ぬことについて書いていると、いつもそのことばかり考えているくら〜い人みたい・・と自分でも思う。決してそんなことはなく、結構脳天気で昼寝大好きのナマケモノみたいな自分だなあと思っているんだけど。でも、今回もそういった内容なのです。(苦笑・・)

 テレビを見ていたり、本を読んでいていると何かに感動したり「あ、そう思う!」という言葉やシーンに出会うことがある。そういうときはだいたい「生きること」や「死ぬこと」が関係している場合が多い。きっと自分が生きていて、生き生きしているしっぽたちに接しているからなんだろう〜と思っている。

 最近こころに残ったことばを引用させてもらう。

私が好きなよしもと ばななさんの「アルゼンチンババア(すごい題名だ・・)」出版 rockin'on から〜

「何が正しいというんではなくて、人の死ぬ時の形を死ぬ本人が選べなくなってずいぶん時間がたつような気がする。
人は死ぬ瞬間までちゃんと息をして生きているのに、ずいぶんと早いうちからもう、まわりじゅうからのしかかってくるそういうタイプの小さな呪いによって、死んだことにされてしまう気がする。

 人は死ぬ瞬間まで生きている、決して心の中で葬ってはいけない。」

 
そうだなあと思う。大切な人や大切なしっぽさんが重い病気になったり、高齢になると死んでしまうかもしれない・・とその日がとても怖くなってしまう。  それは予期悲嘆といって、本当にその日が来たときにショックをやわらげる効果もあると聞いたことがあるし、誰しもそう思って当然だと思う。
 だけど、今、その瞬間に生きている人やしっぽさんにとっては、そばにいる人がいつも悲嘆しながら一緒にいたらとても辛いだろうなと思うのだ。そういう時にいつものように明るくするのはしんどい。そばにいる人は辛さも倍増だ。病人やお年寄りやしっぽさんは密かにそばにいる人の悲しみに気がついてしまうことがあるんだろうか?そう思うとまたやりきれない。

 しっぽさんは人間より飼い主の心がわかってしまうときがある。
心優しいしっぽさんは、自分が飼い主さんを悲しませているんじゃないかと心配しているようなときがある。だからこそ、弱っている方やしっぽさんのそばにいるときは明るい自分で接してあげたいと思う。
 

 マッサージするときには、自分が悲しい気分のときはしてはいけないと言われたことがある。悲しい気持ちが犬に通じてしまうからだそうだ。また、心安らぐはずのマッサージの思い出が悲しみ一色になって思い出されてしまうから・・大切な愛犬とふれあった思い出は心癒される思いで思い出してほしいからだそうだ。

 私は短くしか生きていないし、経験もまだまだだけど、そんな短い経験の中で感じたことがある。
 実父が重い病気になって闘病中・・今は元気になった父だが本人もそのとき「死」を意識したそうだ。でもその思いに負けてはいけないと自分が助かることしか考えなかったとか。実際、父と同じ病気で同室だった方が亡くなったときはくじけそうになったこともあっただろう。けれど父は復帰した。お見舞いにいった家族も私も絶対に父は元気になると信じていた。
 ちょっと違うとそれがかなわなかったかもしれない。けれど、家族は最後まであきらめないで支えてあげたいと思う。

 愛犬ノエルは危篤のとき、もう立ち上がれなくてぐったりとしながらも必死に私に助けを求めていた。私は「大丈夫だよ。安心して。きっと元気になるから、がんばるんだよ。」と心から語りかけた。ノエルは深いため息をついてゆっくり横になり、目をとじた。それが生きているノエルを見た最後だった。
 亡くなった後、私はノエルは自分が旅立つことを覚悟したのだろうと思っていた。でも、今は違う。きっとノエルは安心したのだと思う。私の笑顔で安心して自分が元気になって家に帰れると信じて横になったのだと思う。
 犬は自分が死ぬことがわからないのだという。いつも前向きに生きているのだという。だとしたら、ノエルはきっと私の言葉を信じたのだろう。とても苦しかったはずなのに、あの穏やかな顔がわすれられない。私は死ぬ目に立ち会えなかったけれど、最後に希望と安心を与えることができて本当に良かったと思う。たとえ死の淵にあっても、飼い主は希望を与えてあげられるのだと思った。

 里親のMさんのダイちゃんのときは、点滴をはずしたらもう助からないという状態でお家に帰ってきた。数日間の入院中、先生は献身的に治療をしてくれた。しかし、ダイちゃんの体力はもう限界で、これ以上の回復の見込みが難しいということだった。ご家族は、せめて最後の時はお家で過ごさせてあげたいというのが願いだった。
 私と友人は、本当に偶然に旅立ちに立ち会うことになった。意識が朦朧とする中で「お家にかえってきたよ。」という呼びかけにダイちゃんが見せたにこ〜という笑顔がわすれられない。亡くなるとき、「怖いことも悲しいこともない。ダイちゃんはみんなに愛されたんだよ。」と皆さんと枕元で話してあげることができた。ダイちゃんは本当に幸せそうに旅立った。

 しっぽさんの場合、場合によっては飼い主さんが死ぬ形を選ばなくてはならないときがある。とても辛い選択だ。その子を心からまっすぐに愛していている人の選択だったら、その選択に正しい間違っているはないと思う。それがその子を心から愛している人が一緒の時間を大切に過ごすためだったり、見送るためだったのなら、人が横から口出ししたり、文句や批評をしてはいけないと思う。

 しっぽさんは自分で旅立つ日を決めて逝ってしまうこともある。
 どの瞬間でも、飼い主さんとしっぽさんにしかわからない大切な世界がある。その中に精一杯の愛情があったのなら、外の人がこうすべきだ、ああすべきだと言ってはいけないと思う。飼い主さんではない外の人がまだ生きている命を死んだことにしたり、心の中で葬り去るように言ったりしたりしてはいけないと思う。また、亡くなったあとにあれこれ批評をしたり、言ってもいけないと思う。誰よりも苦しんでいるのは飼い主さん自身なのだから。
 生きることも亡くなることもみんな、飼い主さんやしっぽさんが自分できめることなのだから。

 しかし、時として飼い主の歪んだ自己満足によって、生きる形や死ぬ形を強いられてしまうときもある。
 自分のしっぽを捨てたり、責任を持って里親さんを探そうともせずに飼育放棄をする、無視して世話を怠ったり、逆に自分の都合で無理につれまわしたり、常識の範囲を超える多頭飼いなど・・。そういうことをする人に限って、自分にはそれしかできなかった、あの子のためだったと思っているように感じる。そういった自分勝手な行為は愛情とは言えないと思う。上記の言葉を借りると、「まだ生きているものを死んだことにして、心の中で葬り去っている」行為ではないだろうか・・
 被害にあうのはいつも動物たちだ。家族になった命なのだから、愛情を持って最後まで責任をもってお世話してほしいと思う。

 私は大切な人やしっぽさんが闘病中や旅立つときにうろたえずにちゃんと最後まで希望を与えてあげられるかわからない。そんなに強くいられるかもわからない。自信もない。けれど、願わくばそうできたらいいなあと思う。そして、自分もそうしてもらえたらいいなあと思う。


                     



もうひとつ、心に残ったことば。

 「少し前は失ったものを嘆いてばかりいたが、今となってはなにも失ってなんかいなかったことがなんとなくわかる。」

 これもよしもとばななさんの「王国 その1アンドロメダ・ハイツ」の中の一文。
 うん、わかるわかる!と思ってしまった。またしてもわんこに当てはめてしまうのだが、3頭の犬を失って、その3頭目のノエルからから3年たって初めてわかった感覚だった。失ったときは悲しくて悲しくて、触れられないこと、においをかげないこと、ぺろっとなめてくれないこと、あの毛の感触もあの笑顔ももう二度と目の前で見ることも触ることもできないのだと思っていた。目の前にいないことがリアルに迫ってくる感覚。
 「なにも失ってなんかいなかったことがわかる」までに3年かかってしまった。(^^)そう。あのわんこたちには触れられないけれど、あの笑顔も楽しかった思い出もやわらかい感触も手を伸ばせばいつでも思い出せる。
 なにもうしなってなんかいなかったのだ。
 犬ばか飼い主のお気楽な思い込みだけど、いつもあの子らの魂は私のそばににこにこしてお座りしている。多分、しっぽを振って。
 命日が近かったのも影響しているのだろうなあ。文章の前後からして、私の解釈は自分独自のものだなあ・・と思うのだが。
 私の勝手な感想なのだけど大切なことなので書いておくことにする。

 これは以前に日記にも書いた一文。

 ばななさんの作品には、しっかりと生と死や苦しいことや辛いことを見つめながらもその中に一点のひかりのように生きる希望や明るさ、強さを感じることができる。読み終わったあとの爽快感。むくむくと元気と希望ががわいてくる。また、登場人物たちが辛いことを乗り越えながら食べる食べ物のおいしそうなことと言ったら!食べることは生きることだなあというシンプルな歓びを感じる。生きているうちはおいしく食べよう、食べさせてあげたいと思う。いっぱい楽しもう、楽しませてあげたいと思う。いっぱい笑顔で話しかけてあげたいと思う。
 ハンス・ウィルヘルムさんの絵本のように、毎日、毎晩「ずーっとだいすきだよ」と言ってあげたいと思う。いつか、天国へ行っても伝え残したことがないように、時間が掛かるだろうけれど、失ったものは何もなかったといつか思えるように毎日を一緒にすごせたらいいなと思う。

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