子供と学校動物について
    
 学校で飼われている動物で連想するものは・・・うさぎと鶏でしょうか?
 インコを沢山飼っている学校もあるようです。
そんな中でいつも思うのは、学校の飼育動物とふれあっているときの子供たちの笑顔です。(^^) 集合住宅などで動物が飼えない家庭も多い中、学校で出会える動物は子供たちにとって唯一接する事ができる動物でもあるのだなと思いました。
   
 幼い頃の私は、犬や猫などを飼うことを禁じられていたため、小鳥やモルモット鳩、亀などの小動物を飼っていました。ですから、学校で飼われているうさぎなどは私にとっては、とても存在感のある動物で、私は当番でもないのに飼育小屋にでかけたものです。
  学校のすぐ裏に住んでいたので、夏休みも毎日のように通いました。
  私の小学校のうさぎ小屋は土の上に自由にうさぎが動き回れ、かなり広いスペースをとっていました。うさぎたちはのんびり動き回ったり、走り回る事も穴を掘って巣を作ることもできました。鶏と分けて別に小屋が設けられ、餌もちゃんとうさぎ用、鶏用に用意され、飼育環境は良かったように思います。
  そんな環境だったので、うさぎは赤ちゃんを生みました。
  生まれた赤ちゃんに私たち児童は夢中でした。
  最初は触るとお母さんうさぎが子育てを放棄してしまうこともあるので、じっと我慢しました。やがて、離乳もほぼ済み、草などをだべれるようになった頃、やっと先生から子うさぎとのふれあいの許可がおりました。
  子うさぎが疲れないように時間を決めて、当番制でお世話をしました。
   特に私のお気に入りだったのは、白に茶色の二色模様のうさぎでした。
他にも同じ色の子がいたのですが、そのうさぎの額の所に雪のように白い色があったので、私は心の中で「残雪」という名前をつけてかわいがりました。当時、国語の教科書に椋 鳩十さんの「大造じいさんとがん」というお話が載っていました。そのがんの名前が「残雪」という名前だったのです。私自身、椋さんの作品が大好きでよく読んでいました。

  残雪たちはどんどん大きくなりました。
  先生たちは子うさぎをもらってくれるお宅を募り、じきに子うさぎたちは皆もらわれていきました。その時、お別れが寂しかったですが、残雪をはじめとするうさぎたちとのふれあいの思い出はとっても心の中に残っています。
    
 残った親うさぎたちに会いに私の飼育小屋通いは続きました。
 もう子うさぎがいなかったので、けっこう飼育小屋は人気がなく寂しくなっていました。
 そんなある日、1匹の白いうさぎのお尻から何か出ているのを見つけ、慌てて先生に言いに行きました。どうやら、肛門から腸が出てしまっているようでした。先生は、用務員のおじさんに相談しなさいというだけで、見に来てくれませんでした。私はうさぎを病院に連れていって欲しかったのですが・・・
 用務員のおじさんは、うさぎの腸をが出てしまっているのを説明してくれましたが、学校の先生の許可なしには何もできないと言いました。
私は、苦しんで弱っていくうさぎのそばから離れる事ができませんでした。
 どのくらいの時間そうしていたかわかりません。
 やがて、うさぎは動かなくなってしまいました。
 用務員のおじさんにもう一度来てもらいました。
すでに死んでしまったうさぎを埋めてあげようということになりました。
 おじさんは、うさぎの耳をつかんで無造作に持ち上げました。
私はショックでその場から動く事が出来ず、うさぎを運んで行くおじさんの後姿を見ていたのをおぼえています。
 小学校5年生だった私にとって、子うさぎにはあんなに熱心だった先生が親うさぎには冷たかったこと、苦しんでいるのに見にきてくれなかったこと、用務員のおじさんのうさぎの遺体の扱いはとてもショックでした。
 そのときのことを今でも鮮明に覚えているのはどうしてなんだろう?と考えることがあります。

 大人になって思うことは、子供は大人が思っている以上に生き物や命や死について敏感に感じているということです。その命や死についてちゃんとした扱いや説明をしてあげないととても傷つくことがあるということ。
大切に扱う事を大人が教えてあげれば大切に思うし、粗雑に扱っていれ、それが当たり前になってしまう。そんな怖さがあるように思いました。

 最近、獣医さんたちが学校動物の適性飼養について普及する運動をすすめていらっしゃる所もあると聞きました。とても素晴らしいことだと思います。
先生方の中にも動物の適性飼養をご存知無い方もいらっしゃるかと思います。先生方が率先して学校動物を大切にする姿を子供たちに見せる事が大切ではないでしょうか?

 また、家庭でかわいがっていた動物が亡くなった場合、ご両親が亡くなった動物の遺体を隠していなくなってしまったと子供に話すケースも聞いた事があります。隠されてしまうことで、動物との心の絆を絶たれ、喪失の悲嘆を十分にできなかった悲しい思い出を抱える場合もあります。
 亡くなった動物の遺体を見せてあげて一緒に悲しむこと、また、その遺体を丁寧に扱ってお葬式をしてあげることはとても大切だと思います。
 小さな金魚をお庭に一緒に埋めてあげること。
そしてその金魚が亡くなったことを一緒に話し合うこと。きっとそんな経験は子供たちに命の大切さや天国へ行った命にさよならすること、自分自身や他の人を思いやる心に繋がると思います。


                    るんば



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