2004年3月の日記


3月7日(Sun)  PD競技会


PD競技会を見学してきた。
TVなどで警察犬のデモンストレーションのようなものは見たことがあるが、生で見るのは初めて。
フリスビー大会のように、大きなフードメーカーが協賛になっている華やかさはなく、なんとも地味。来場している人もほとんどが関係者のようで、ギャラリーのような人はあまりいなかった。そもそも、私たちのような無関係の人間がいそいそと見学しにいってもよかったのだろうか?
でも、見学といっても見ていられたのはほんの10分程度。
元々、ランディと2人で行こうと思っていたのが、母も行くと言い出し、おまけにさくらとキーボーも着いてきた。
ランディは知らない犬と人に向かって吠えまくるので、遠くから見るのが精一杯。
おまけに、キーボーやさくらと遊びたがって引っ張りまくる。
落ち着いて競技会に参加している犬やハンドラーを見るどころの騒ぎではない。
まわりの犬たちが、しっかりと訓練が入っているので(当たり前だが・・・)、うちの犬3匹のダメ犬ぶりが際立っている。恥ずかしい。
何故恥ずかしいのかと言えば、うちの犬がダメなのではなく、飼い主である私たちがダメだからなのだが・・・

たまたま私たちの車の近くで練習をする女性とシェパードがいて、その様子をジーッと見ていたのだが、犬というのはこんな動きができるのかと感心してしまった。
別に特別なことをしていたわけではない。ただ、犬と一緒にハンドラーである女性が一緒に歩くだけなのだが、犬のハンドラーに対する集中がものすごいのだ。
近くでサッカーをしている子供がいたし、車の中ではランディがけたたましく吠えているのに、まるでハンドラーしか見えていないような集中の仕方だ。
人と犬が歩いているというより、一体となって歩いてるという感じ。
こんな風になれるまでには、小さなことを毎日コツコツと人も犬も努力したのだろうな。
私とランディも、頑張ったらいつかこんな風に歩けるようになるかな?と、ちょっと夢を見てしまった。

そういえば、会場には成犬にしては小さいシェパの姿もあった。
たぶん、ランディと同じくらいの年齢なのだろう。
あの子たちも、この競技会に参加するのだろうか。体はランディと同じくらいだし、顔もまだ幼さの残る顔立ちだったけど、醸し出す雰囲気というか、表情が凛々しくてがランディとは全く違った。
体形もランディより細かったというか締まっているという気がした。
飼う人の意欲次第で、遊び盛りのランディくらいの年齢の犬でも、ちゃんと落ち着いていられるようになるのだなと改めて思った。

ほんの僅かな時間だったが、今日は見学に来てよかった。

No.215
3月13日(Sat)  お勉強
怠け気味だったランディのお勉強を再会。
教えるべきことは山ほどある。しかし、当たり前だが初めからうまくいくわけもなく、遊んでる時のランディの満面の笑顔のせいで、ついつい遊びの方に重点を置いてしまっていた。そのせいか、「スワレ」「フセ」「マテ」などの基本的なことは出来るはずだったのが、私の指示に一切従わなくなってしまった。従うのはオヤツをもらうときだけ。
ただ、遊びまわるのも楽しいが、やはり一つのことをやり遂げる一体感のような喜びを飼い主としては味わいたい。と、いうわけでお勉強を再開。
お勉強といっても、真剣なのは私だけで、ランディにとっては楽しい遊びにほかならない。毎日、お散歩の途中で、「ツイテ」の練習と「スワレ・フセ・マテ」の復習。
一つできるごとに、よーく誉めて、ご褒美にランディとボールを引っ張りっこしたり、ボールを持って追いかけっこ!
初めて教えることは、ランディの動きを見ながら、どんな風に私が動けばいいのか、どのタイミングで指示を出せばいいのか、試行錯誤しながらいろいろと試してみる。
「ツイテ」の練習では、PD競技会を見学したことが役に立った。
ランディの大好きなボールを、私がおへそのあたりに持ち、ツイテと指示を出しながら並んで歩く。初めのうちは、私の前に回りこんで、ボールを持つ私の手ごとガブッ!腕にもガブッ!ボールで遊んでくれないとわかると、スタコラサッサと走って行って、穴掘り開始!
2日間痛い思いをしながら、粘り強くどうすればボールで遊んでもらえるかを教えた甲斐あって、今日は、私の腕や手を噛むことなく脚即歩行っぽく歩くことができた。
まだまだ、競技会で見たようなアイコンタクトがしっかりとれた脚即歩行ではないが、噛まなくなったことは大きな進歩だ。
それに、「スワレ、マテ」の状態で5mほど離れた所から「フセ」と指示を出しても、嬉しそうに走ってきては足元でフセをしていたランディだったが、今日は、離れた場所からの指示に、走り寄ることなくその場で「フセ」をすることができた。
「よ〜〜〜し、いい子ダー。おいで」と呼ぶと、嬉しそうに走ってくる。
こんな素人の私のしつけ方でも、見事に応えてくれるランディ。なんとも可愛いヤツである。
No.216
3月15日(Mon)  D先生ありがとう
叔母が今日、動物病院へネコちゃんのワクチンに行ったとき、ファングの時からお世話になっている我が家のしっぽの主治医D先生から、「NAOさんにもよろしくお伝えください。」とメセージを預かってきた。なんでもアメリカへ留学するため動物病院を退職するという。

ファングがD先生にお世話なり始めた頃、まだ若くて動物への接し方や話し方が優しいせいか、「この先生、頼りないけど大丈夫かな?」と正直私は思っていた。
飼い主の私に対する説明も、丁寧にしてくれるのだが医学用語を使うためよくわからないし、何よりもマニュアル通りな言葉の羅列のように感じられた。
高齢のファングの場合、一つの症状であっても、たくさんの要因が重なっていることが考えられることも多く、場合によっては、治療をすることで他の疾患が誘発される恐れもあった。何よりも完治が期待できないことの方が多かった。
何十年も獣医としていろいろな経験を積んできたベテランの先生に比べれば、ファングの「あっちを立てればこちらが立たず」の状態と、飼い主として「愛犬をどうにかしてやりたい」という強烈な想いの間で、D先生は治療方針の決定とその説明に、相当困っていたことだろう。私自身も当然ファングにはいつまでも健康で長生きしてもらいたかったし、医学的にも昔より進んでいる今なら、何とかならないのか?という思いもあった。
冷静に考えれば、老化を止めて命を永遠にすることなんて無理なことというのはわかりきっていることだが、大切な家族の一大事となると、その無理なことを無意識のうちに望んでしまう。私の中にそんな考えがあったから、D先生のことが頼りなく思えていたのかもしれない。D先生と出会った頃の私にとっては、ファングが健康でいることがすべてで、どんなに親切丁寧な治療と説明があっても、治らないのならば意味のないことだったのだ。

でも、D先生との出会いが頼りなさを感じるものでよかったと、今は思う。
そのおかげで、私は獣医なんかに任せておけないと、自分でも犬の体のこと、病気のこと、薬のことなど、私自身が疑問に思うことは何でも調べるようになった。
解らないことは病院に行くたびに質問したし、素人の私が専門知識を持つ獣医の治療方針に口を出すことは勇気が必要だったが、D先生が処方すると言った薬を断ったこともある。ファングのためならとなりふりをかまっている余裕など私にはなかった。
その余裕のなさがD先生と、ファングのために獣医として何が出来るか?飼い主として何が出来るか?ということをトコトン話し合うきっかけになった。
「獣医として、こうあるべきだ」というような、生意気で失礼極まりないことを言ったこともある。
不思議なもので会話をすればするほど、私の飼い主としてファングにどうしてやりたいのかがD先生にも伝わり、マニュアル的な「こうしましょう」という一方通行の説明から、私がファングのために納得のできる治療を選べるようにいろいろなパターンの治療方針の提案をしてもらえるようになっていった。
当然、治療方法によってはメリットもあればリスクもある。その中で私自身が自分で考え決定できるということは、どんな結果になっても私自身の決断なのだから・・・という責任転嫁のできない状況であり、ファングの命を預かる飼い主としての重責を感じると共に、決断に必要な知識のすべてを提供してくれるD先生への信頼へとなっていった。
その信頼は、毎日のファングの介護の疲れや不安などで潰れそうになる私自身に「困ったときは助けてくれる専門家がいる」という心の支えにもなった。

そして、もうひとつ。私がここまでD先生を信頼しているのには訳がある。
それは、ファングが息を引き取った時、D先生も悲しんでくれたこと。
D先生も涙を流したとか、そういう目で見てわかることではなく、悲しんでくれた気持ちが、ちゃんと心に伝わってきたのだ。
ファングの死という、とてつもない悲しみの中での私の思い込みと言ってしまえばそれまでだが、確かにD先生はその時悲しんでくれたのだと私は思っている。
正直私は、獣医師というのは職業柄、「死」に慣れていると思っていた。
もちろん、死を確認する獣医師として、感情に流されることなく淡々とファングの死亡を説明をしてくれたが、それは獣医師としての役割を果てしているのであって、ちゃんと心の中では「死」を悲しんでいた。決して、「死」に対して無感情になっているわけではないということが感じられた。

ファングを通じてD先生と出会えたことは、私にとってとても大切なことを教えてくれた。ただ、わかってくれないと嘆くことより、わかってもらおうと努力することで信頼関係は築いていけるということ。
しっぽ家族と暮らす上で、良い獣医を見つけることは必要不可欠である。
もちろん、最初から全幅の信頼を寄せられる獣医師と出会えればそれに越したことはないが、飼い主側の努力で「信頼」を築き上げることも不可能ではないのだ。
D先生とは、たぶんもう会うことはないかもしれないが、アメリカで更なる知識と経験を積んで、いつか日本に戻ったとき、動物の病気だけを治すのではなく、私が感じたように、病気の動物を支える飼い主の心のケアまでできる獣医師として活躍してもらいたいと願っている。

No.217

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